傳田流 成功法

人材確保にはブランド認知が必要 / Intel Inside誕生裏話

前回は、米Intel社で経営者に求められている六つの資質の一つ「リスク・テイキング」の例を取り上げました。リスク・テイキングと言っても、必ずしも具体的なリスクが明らかなものばかりを対象としているわけではありません。Intelはリスク・テイキングに関して、(1)現状に対する変化と挑戦を許容する、ということだけでなく、(2)革新的・創造的な方法を奨励する、(3)すべてのアイディアと見方に耳を傾ける、(4)社内の成功例と失敗例から学ぶ---ことを挙げています。そして、このリスク・テイキングの考え方を広め推進することも要求しています。

今回は、革新的・創造的な方法を奨励し社内の成功例と失敗例から学んだ、という具体例を紹介しましょう。それは、私を含めた日本法人インテルの役員が提案・実施した「Intel In It」プログラムが全世界共通の「Intel Inside」プログラムに発展した話です。

設立当初の日本法人インテルは、中途採用を中心として人材を集めていました。しかし、仕事の経験はあっても、逆にその経験がIntelの会社としての使命を理解するには妨げとなる場合もありました。1980年ごろからは、他社での経験がないほうがIntelを理解しやすいと考え、新卒の採用も始めました。ちなみに、現在のIntelの使命とは「全世界のインターネット業界に対する優れたビルディング・ブロック提供者となることで、顧客・従業員・株主に貢献する」というものです。

ところがその新卒採用で、優秀な学生が採れなくて悔しい思いをしたことがあったのです。内定した学生の親がインテルに就職することに反対したのです。その理由は、(1)テレビ・コマーシャルに出ていない、(2)外資系の会社---だからというのです。

当時パソコン・メーカの宣伝は多くありましたが、そのパソコンにIntel製CPUが入っているというところまで知っている人は少なかったのです。そこで、広告会社と共同で専門チームを組織して、パソコン・メーカの宣伝と組み合わせてIntelブランドを広めることを企画しました。そのパソコンにはIntel製CPUが入っているという意味の「Intel In It」プログラムです。最初にお願いしたパソコン・メーカは東芝です。東芝はF1レーサの鈴木亜久里氏を起用して大々的にノート・パソコン「Dynabook」の宣伝を始めたときでした。

最初東芝は「Intel In It」プログラムに対して、東芝ブランドと「二重ブランド」の宣伝になってしまう、としてこちら側の提案を拒否しました。これに対して、インテルがいくつかのマーケティング上の支援策を提案したことで受け入れていただきました。

「Intel In It」の成功を見たIntel社長(当時)のAndrew Grove氏は、「Intel In It」プログラムをIntel全体のマーケティング戦略として練り直すことをIntel本社のCMG(Corporate Marketing Group)に指示しました。こうして生まれたのが「Intel Inside」プログラムです。「Intel Inside」では、パソコン・メーカの宣伝費の一部をIntelが負担する、というようにパソコン・メーカに対する支援内容が拡大しました。各パソコン・メーカに対しては、テレビ・コマーシャルや雑誌広告などで使っている「Intel Inside」ロゴの使用実績に応じて、その対価をある条件に従って支払っています。このプログラムのためにIntelは今でもかなり多くの金額を予算計上しています。また、「Intel Inside」プログラムはPentium系列だけでなく、サーバ用CPUのXeon、最近発表したノート・パソコン用プラットフォーム「Centrino」などにも適用範囲が広がってきています。

「Intel In It」プログラムを採用しなかった日本のあるパソコン・メーカも、支援内容が充実した「Intel Inside」プログラムになってからは、パソコン・メーカ側にもメリットがあることを認めています。そして、「Intel In It」プログラムの本来の目的である“パソコン・ユーザなどにIntelブランドを認知してもらう”ということにも成功しました。現在インテルには優秀な学生からの入社希望が殺到しています。


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